友人を亡くした話




数日前、白血病で闘病中だった友人が亡くなってしまった。

その知らせをうけて僕はしばし呆然としたあと、彼女とのLINEの会話履歴を眺めたりしているうちに、「もう彼女とLINEしたりもできないんだな」などと考えるのが辛くなってきて、LINEのトークルームを履歴ごと削除してしまった。

その直後、「貴重な最後の会話の記録が失われてしまった」と激しく後悔することになったのだが、僕はここ数日、彼女に対する情報を遮断して楽になりたいという思いと、この悲しみを忘れてしまいたくないという2つの思いの矛盾に苦しめられていたので、いっそブログに今の感情を保存しておいて、明日からはなるべくこのことを考えずに生きていけるようにしようと思って、この記事を書くことにした。

それが物理的な石牌なのか、宗教的な儀式なのか、心理カウンセラーなのか、投資ブログなのか、何がもっとも適切なのかはよくわからないが、人間が吐き出す悲しみを受け止め、日常への帰還を助ける機能を持つ何かが必要なのかもしれない。

だからこそ僕たちは、お墓を日常からすこし離れた場所につくるんだと思う。

というわけで、この記事は自分のためのもので読者のために書いているわけではないので、とくに見出しなどをつけるでもなく、ただ思っていることを順番に書いていきたいと思う。もし、彼女のご家族の方や友人の方で、この記事を読んで気分の悪いような記述を見つけた場合は公開をすぐに停止するので、Twitterなどでおしえてほしい。

僕がこの知らせをうけたとき、最初に辛く思ったのは、あれだけ彼女が苦しみの末に決断した骨髄移植を決行してからたった2週間で亡くなってしまったということだった。

骨髄移植というと、麻酔をした上で骨髄を移植して終わりなのではというようなイメージを持たれる方もいるかもしれないが、実際は超過酷な治療法である。

僕たちには異物にたいして抵抗するための免疫というものを持っているため、他人の骨髄で血液をつくるようにするためには、まずはこの免疫を破壊しなければならない。

この免疫を破壊するために、前処置として全身に放射線を浴びることになるのだが、その量は合計で12000ミリシーベルトだそうだ。ちなみに、先の原発事故における避難指示が出ていたのは年間20ミリシーベルトの被曝量であり、一度に浴びる7000ミリシーベルトの放射線はすでに致死量ということらしい(参照先)。

彼女の場合、一度の抗がん剤治療で寛解に至らなかったことや、移植元のドナーが兄弟ではないことなどで、このような悪条件を考慮した上での統計的な長期生存率というのは高くなかったのだと思う。僕がいろんな本やWEBなどで調べた限りでは、20-30%くらいだったんじゃないかと思っている。

それでも、僕は彼女にできれば骨髄移植を受けて欲しいと思っていた(もちろん本人が決めるべきことで僕は一切口出ししていないが)し、ドナーが見つかったときは心から救われた気持ちになった。

彼女がどこまでの数値を告知されていたのかはわからない(ショックを与えないためにあえて悪条件を考慮しなかった場合の確率を伝えるなどはしないのだろうか?)が、20-30%の生存率のために前述した免疫を破壊する前処置の副作用、 「血球減少、口内炎、脱毛、食思不振・吐き気・嘔吐(おうと)、下痢」などに立ち向かうというのは相当な勇気が必要だっただろうし、彼女は「めちゃくちゃ怖い」といつも口にしていた。

こうした彼女の勇気が報われず、しかもおそらく苦しみの中で亡くなっていってしまったであろうことが本当に悲しい。もちろん、移植を受けなくてもいずれは亡くなってしまったことも理解しているが、移植を受ける前の彼女の元気な姿を思い出すとたまらなく切ない気持ちになってしまう。

例えば、移植により100%治癒することがわかっていれば誰もが移植を受けるだろうが、これが1%だったならば受ける人はほとんどいなくなるだろう。では、受ける/受けないの妥当なラインというのはこのあいだのどこかに存在するはずであり、果たして彼女の場合はそれが妥当な決断だったのだろうか、というようなことも考えてしまう。でも、もし何も知らずに移植前に戻ったら、変わらずに僕は移植を受けて欲しいと願ってしまうだろう。

僕は彼女と死生観について話をしたことがあるのだが、彼女は僕に似て、神様や死後の世界などの概念はまったく信じないそうで、自分が消失することを考えると怖いと言っていたことがある。

僕も昔から同じような恐怖感をずっと抱いていたので、その気持ちがよくわかったし、つい彼女が移植を受けるときの気持ちを想像してしまうと、毎回泣いてしまう。

エリザベス・キューブラー=ロスという精神科医による「死の受容」という概念の話を彼女としたことがあった。

人間は自分の死に直面すると、

1.否認と孤立:頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認している段階。
2.怒り:「どうして自分がこんなことになるのか」というような怒りにとらわれる段階。
3.取り引き:神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。
4.抑うつ:回避ができないことを知る段階。
5.受容

このような段階を踏んで、受容へと至り、最後は死を受け入れることになるらしい。

僕が彼女とLINEで連絡をとることができたのは、彼女が亡くなるおよそ1週間前のことで、彼女が亡くなったときどのような状態にあったのかは僕にはわからないが、彼女が少しでも最後に安らかな状態で眠りにつけたことを願うしかない。

思えば僕は、近しい人と死別するという経験が今までになかった。

祖父は僕が高校生の頃に他界したが、一緒に住んでいたわけではなかったし、両親も祖母もまだ存命である。

僕はここ数日、カフェなどで仕事をしようとしているとつい思いがこみ上げてきて泣いてしまうし、仕事も何もできるような状態じゃなくなっていた。

でもいつまでもこうしているわけにはいかないので、せめて今の気持ちを残しておくことにした。

昼や夜は、何かに意識的に集中しようとすることで忘れることもできるが、朝起きたときは無防備なので、しばらく塞ぎ込んでしまうということが続いている。

最近、友人が失恋したとかなんとかで(彼は既婚者であり失恋という概念があるのか謎だが)WEBカウンセリングを受けてすっきりしたといっていたので、僕も今のような状態が続くようなら検討してみようと思う。

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2 件のコメント

  • 陰ながら寛解を願いTwitterをフォローしていましたが、亡くなられてしまったのですね。残念です。ご冥福をお祈りいたします。hiroさんも疲れが出ません様、体調にお気をつけて下さい。

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    30代元システムエンジニア。 日本では経営学、アメリカで経済学や統計学などのビジネスを専攻。 趣味は株式投資からゲーム、音楽まで幅広く。 リンクフリーです、ご自由にどうぞ。